平家物語

平家がまだ隆盛を極めていた頃、平清盛は祇王という若くて美しい舞姫をいつも側においてかわいがっていました。
ある日、仏御前という16歳の舞姫が、祇王の評判を聞いて、
「もし私もおかかえの舞姫の一人としておいて頂けたら、どんなに幸せでしょう」
と、清盛の屋敷を訪ねてきました。

しかし、祇王に惚れ込んでいる清盛は、すぐに追い返そうとします。
それを見ていた祇王は、かわいそうに思って
「せっかくお屋敷までいらしたのですから、会ってあげてくださいませんか」 と清盛にお願いすると、
「お前がそれほど言うなら………、会ってみるか」
と仏御前と会うことになったのです。

清盛はあまり気が進みませんでしたが、「何か芸を披露せよ」と言うと、 仏御前の美しい歌声が響き渡り、 そこにいた人たちの心はすぐに惹きつけられました。
仏御前が舞い始めると、その美しい姿に釘付けです。
清盛は、仏御前にすっかり心を奪われてしまい、祇王には見向きもしなくなりました。 この短時間のうちに、心変わりをしてしまったのです。

それからは、仏御前をいつも側において、かわいがるようになりました。
仏御前は、祇王の助けがなかったら、清盛に会うことさえできなかったのに、 自分が祇王の居場所を取ってしまったようで申し訳なく思いました。
そして、「たまには祇王さまを呼ばれてはいかがでしょうか」と清盛にお願いします。
すると、清盛は
「お前がそんなに気にするのなら、祇王を屋敷から追い出そう」
と突然、祇王に出て行くよう命じたのでした。

祇王は、あまりに突然のことに驚き、深く悲しみました。
怒りや、恨みねたみの心が次々と出てきて、気持ちの整理がつきません。 涙の中から一首の歌を詠んで、泣きながら出て行きました。

 萌え出ずるも 枯るるも同じ 野辺の草
 いずれか秋に あわではつべき

これは、どういう意味かといいますと、
新しく出てきた草も、枯れていく草も、同じ野原の草だから、 やがて秋になったら、同じように枯れてなくなってしまう
ということですが、 萌え出ずるは仏御前を、枯るるは祇王を表しています。
「私が捨てられる日が来たように、あなたにもやがて必ず飽きられる日がやって来るのですよ」
と、仏御前へ無常を訴えるメッセージでした。

このあと祇王と仏御前がどうなったのかをお話しする前に、 なぜこのような歌が出てくるのかといいますと、
平家物語は冒頭にも
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
とありますように、「諸行無常」がテーマです。

諸行とは、すべてのものということで、
無常とは、常が無い、続かないということです。
この諸行無常は、他の宗教にはない仏教の旗印です

どんなものも永遠に変わらないということはなく、 すべてのものは移り変わっていく、ということです。
そして、続かないのは、地位や名誉や人の心だけではありません。
私たちの大切な命も例外ではなく無常なのです。

この無常を知らされれば知らされるほど、変わらない幸せを求めずにおれなくなってきます。 その変わらない幸せを教えられたのが仏教なのです。

さて、祇王と仏御前の話を続けますと、
祇王は実家に戻りますが、悲しみは癒えません。
「こんなにひどい仕打ちを受けるなら…いっそ死んだ方がマシだわ」
と身投げを決意します。
しかし、それを聞いた祇王の母親が「お前が死ぬなら、私も一緒に」 というので、やむなく思いとどまり、母親と一緒に仏門に入りました。

やがて祇王が出家したことを聞いた仏御前は驚き、清盛の屋敷を出ることにしました。
そしてある日、祇王たちの元を訪れたのです。
仏御前は、その時の気持ちをこのように表しています。

 娑婆の栄花は夢の夢、楽しみ栄えて何かせむ。
 人身は受けがたく仏教にはあいがたし。
 この度、泥梨に沈みなば、多生曠劫をばへだつとも、
 浮かび上がらん事かたし。
 年の若きをたのむべきに非ず。
 老少不定のさかいなり。
 出ずる息の入るをも待つべからず。
 かげろう、稲妻より尚はかなし。
 一旦の楽しみにほこって、後生を知らざらん事の悲しさに、
 今朝紛れ出てかくなってこそ参りたれ。

これは、
「この世は夢の中で夢を見ているようなもの。
 我を忘れて楽しんで何になりましょう。
 人間にはめったに生まれられず、仏教もなかなか聞けません。
 もし今生も、今のまま死んで奈落に沈めば、果てしなく生まれ変わりを繰り返しても、二度と人間には生まれられないでしょう。
 若いからといって安心できません。
 老いてから死ぬとは限らない人間の境涯です。
 吐いた息が吸えなければ命終わります。
 羽化して数時間で死んでゆくかげろうや、一瞬で消える稲妻よりはかない人生です。
 一時の楽しみに我を忘れて、いまだ死んだらどうなるかわからないのが 不安で、今朝、目立たないように、 こうして出てきました」
ということです。

そして、仏御前が頭にかけていた衣を取ると、
あの日、美しくたなびいていた髪は見る影もなく切ってしまい、 別人のような姿になっていたのです。
祇王は仏御前の気持ちを汲み取り、一緒に仏道を求めるようになりました。熱心な聞法はやがて実を結び、3人とも救われたと言われます。

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