アメリカの紙幣に顔が出ているベンジャミン・フランクリンは、アメリカを独立へ導いたことでも有名です。
そのフランクリンが晩年に書いた手紙には、偉業を成し遂げた彼の人生に大きな影響を与えた、子どもの頃のある思い出が綴られています。

フランクリンの思い出

当時フランクリンは、友達が持っていた笛の音が気に入って、自分も、欲しくて欲しくてたまらなくなりました。
ある日、お小遣いをもらったので、おもちゃ屋さんへ行って、持っていたお金を全部払い 欲しかった笛を買いました。

家に帰ってきて、喜びの余り色んな場所で笛を吹いていると、家族みんな迷惑そうに
「うるさいなー、その笛はどうしたんだよ」
と聞いてきました。
「うん、今日もらったお金で買ったんだ」
とフランクリンが嬉しそうにいうと、
「あのお金、全部使ったのか?あれだけあったらそんな笛、4本は買えるぞ。その分のお金でもっと色々買えたのに、ばかだなー」
と笑いました。
それを聞いたフランクリンは、笛を買った喜びよりも悔しさで一杯になりました。

このことは教訓として深く心に残り、それからは、どうでもいいものを買いそうになると、「笛を高く買いすぎてはいけない」と自分に言い聞かせて、節約するようにしたのです。
やがて社会に出て色んな人を観察するようになると、笛を高く買いすぎている人に多く出会うようになりました。

笛を高く買いすぎている人

ある時は、人気者になりたい一心で、他人を手伝っていい顔をしているうちに、自分はボロボロになって終わっている人に出会いました。
それを見て「笛を高く買いすぎているな」と思いました。

またある時は、お金を貯めるためにケチな生活をして、人に親切もしない人を見たとき 「かわいそうな人よ、あなたは笛を高く買いすぎているんだよ」と思いました。

またある時は、見た目にこだわって、きれいな洋服や立派な家、家具などに借金までして、最後は犯罪を犯して警察に捕まった人を見て「ああ何たることだ。彼は笛を高く買いすぎていたんだ」と思いました。

人間の不幸は…

こういう人に多く出会うようになって、人間の不幸というものは、結局、価値のないものをあると思い込んで、笛を高く買いすぎていることから起きるのだ、という結論に達しました。
フランクリンは70歳を過ぎても、自分は笛を高く買いやすいものだと肝に銘じて物事にあたったと言っています。

このフランクリンの笛の話は、の心からお金を無駄にしてしまった、という話ですが、フランクリンが社会に出てからは、お金だけでなく時間や労力についても考えています。
確かにお金なら、失ってもまた稼ぐことができますが、時間は、一度失ったら取り返しがつきません。

時間は取り戻せない

私たちの平均寿命が80歳だとすれば、80年という時間を生まれたときに、与えられたことになります。
寿命というのは与えられた時間なので、私たちが何かに時間を遣うということは、命と引き換えにそれを手に入れているのです。
時給千円のアルバイトをすれば、1時間の命と引き換えに千円を手に入れます。3日間旅行に行けば、3日間の命と引き換えに旅行に行った、ということになります。
私たちは大切な自分の命を切り売りして、欲しいものを手に入れているのです。

しかし、命の時間は無限にあるわけではありません。
必ず使い果たすというときが来ます。
では私たちは、毎日、命と引き換えにしてもいいということに取り組んでいるでしょうか?

命と引き換えにできること

フランスの哲学者パスカルは、
「あと一週間の命となったときにすることを、一生かけてもやらねばならない」
と言っています。
あと一週間の命となったときにやるようなことが、命と引き換えにしても後悔のない、本当の生きる意味なのです。

本当の生きる意味

この限りある命を何に使えば、人間に生まれてよかったと満足できるのか、人生悔いなしといえる本当の生きる意味が仏教に教えられています。

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