私たちの人生は、毎日のように色んなトラブルや災難がやって来ます。
そんな時、自分が苦しんでいるのは、あいつのせい、こいつのせいと人のせいにします。
例えば…
例えば、
子どもの時に寝坊して遅刻しそうになると、親に
「何で早く起こしてくれないの?」
と言って、自分が寝坊したのは親のせいだと親を恨みます。
朝、会社に向かっている時に渋滞に巻き込まれたら
「何でこんなに渋滞してるの?
会社に遅刻するじゃない」
といって遅刻を渋滞のせいにします。
実際、会社に着いた時には
「すみません、今朝ちょっと渋滞していまして…」
と言います。
仕事でトラブルがあった時に、急いで上司に確認したいことがあるのに、そんな時に限って電話に出ない。
「これって私のことを困らせようとしてるんじゃない?
大ごとになったら上司のせいだ」
と言って上司を恨みます。
会社の帰りに、小さなお店によろうとして、駐車場が狭くて駐めにくい時に
「何この駐車場、切り返すスペースが狭すぎる。
こんなところ駐められるわけないじゃない。隣の車にぶつかったら、駐車場が狭いせいだ」
と言ってイライラします。
そして、スーパーに寄ってりんごを2つ買って、家に帰って切ってみると
2つとも中が腐っていた時、1つくらいなら我慢もできるけれど、2つとも腐っていると、
「こんなの食べられるわけないじゃない。
腐っているものを売っているなんて、なんてひどいスーパーなの」
と言ってスーパーを非難します。
しかも傘をスーパーに置き忘れてきたのに気づくと、
「あー、傘忘れた。
スーパーに入ったときは雨降ってたのに、出るときに晴れてたからだ」
と傘を忘れたのを天気のせいにします。
子どもが夜なのに出かけようとしているので、「どこ行くの?」というと、
「うるせー」とか「関係ないだろ」と言い始めると、
「最近、何でこんなこと言うようになったんだろう。
がらの悪い友達とつきあってるからだ」
と言って友達のせいにします。
このように色々なことが起きるのですが、それは本当に人のせいですか?
すべての原因
仏教では、私たちの身の回りにおきるすべては、
「因果応報」だと教えられています。
「因果応報」というのは、自分のまいたたねまきが、結果となって現れるということです。
たねまきというのは、特に心のことで、自分の心が自分の生きる世界を生み出していると教えられています。
自分が直面する現実は、自分の心を映し出した鏡のようなものだ、ということです。
見るべき方角
わたしたちは外側ばかり見ているのですが、
仏教では私たちの苦しみの原因は私たちの外側ではなくて、自分の心の中にあると教えられています。
自分の心を見つめましょう。
今回、さらに仏教に解き明かされた私たちの苦しみの根本原因をスペシャルレポートにまとめましたので、まだご覧になっていない場合は、下の申し込みフォームからお申し込み下さい。