仏教とは?
仏教とは、仏様のみ心を教えられた教えです。
では、仏様のみ心はどんな心でしょうか。
仏心とは大慈悲これなり(観無量寿経)
といわれますように、仏様のみ心は、大慈悲心です。
仏教は、慈悲の教えなのです。
慈悲とは?
では慈悲とは、どんなことでしょうか。
「慈」とは「苦しみを抜いてやりたい」という心。
「悲」とは「楽しみを与えてやりたい」という心です。
これを「抜苦与楽(ばっくよらく)」といいます。
もしあなたが苦しんでいたら、あなたの苦しみは私の苦しみ。
とても見てはおれない、という「慈」の心を
「衆生苦悩我苦悩(しゅじょうくのうがくのう)」といいます。
そしてあなたが安らかで喜んで、幸せになってくれたら、それが私の喜び。
どうにかしてあなたに幸せになってもらいたい。
こういう「悲」の心を
「衆生安楽我安楽(しゅじょうあんらくがあんらく)」といいます。
仏教の目的は「抜苦与楽」なのです。
私たちの願い
では、私たちが抜いてもらいたい苦しみは何でしょうか。
例えば、お金がないとか、最近体に悪いところがある。
しかも、誰も私のことなんか分かってくれない、孤独で苦しんでいる。
やさしくなぐさめて欲しいとか、色々なことに気を使ったり、悩んだりします。
どうしたらもっとお金が手に入るかとか、人に言えない病気になってしまったとか、そんな悩みを何とかしてもらいたい、分かってくれる友人や恋人が欲しい、そういう救いを求めています。
仏様の願いは?
ところが、仏様の願っておられるのは、そんなことではありません。
なぜならこれらは、なくしてもなくしても、それは一時的で、また同じような、新しい苦しみが起きてきます。
永遠になくしきることができない苦しみだからです。
人生とは
人生は、ちょうど苦しみの花を咲かす木のようなものです。
苦しみの花が咲いている枝を切ると、養分が別の枝へ行ってまた違う苦しみの花が咲きます。
その枝を切ると、また養分が違う枝へ行って苦しみの花を咲かせます。
切っても切っても、次から次へと苦しみの花が咲くのです。
ところが、この苦しみには、それを生み出す本になっている、根っこがあります。
仏教では、私達の苦しみや悩みの根本を、ばっさりと切り倒すことを目的としているのです。
ですから、抜くといわれる苦しみは、いつも私たちが苦しんでいるお金や病気などを治そうという一時的なものではなく、私たちの分からない苦しみ悩みの根本原因です。
それを徹底的に調査して抜き去ってみせるというのが仏様です。
与えてやるという楽しみは、永遠に変わらない幸せです。
摂取不捨の利益であり、無碍の一道です。
仏教の目的は
このように、あなたの苦悩の根元を抜き去って、あなたを本当の幸せにしてみせるという抜苦与楽が仏教の目的なのです。
では、苦悩の根元とは何か、どのように苦悩の根元を抜き去るのかについては、仏教の真髄ですので、メール講座と小冊子にまとめておきました。以下から今すぐご覧ください。