仏教に教えられる三毒とは?

仏教で3つの毒といわれるのは、私たちを煩わせ悩ませる煩悩の中でも最も恐ろしい、怒り愚痴の3つの心です。

まず欲とは、お金が欲しい、物が欲しい、ほめられたい、愛されたいと 限りなく欲しがる心です。
私たちは朝から晩まで、この欲の心に引きずられて生きています。

この欲の心が妨げられた時に、腹が立ちます。これが2つ目の怒りの心です。
ほめられたい、認められたい心の強い私たちが、大勢の人の前で恥をかかされたとなれば 腹が立ってその相手を到底許すことはできません。これが怒りの心です。

3つ目の愚痴とは、腹を立ててもどうしようもない相手には、 ねたみや、うらみの心が起きてきます。
自分より勝れた人をねたむ心で、同僚が出世していくのを見ると、 引きずり下ろしてやりたいと思う心です。
また、ひどいことをされるとずっと覚えていて、今に見ておれと憎み続けます。

忠臣蔵はなぜ起きたのか

この三毒が引き起こした歴史上でも有名な出来事が赤穂浪士の忠臣蔵です。
今の兵庫県にあたる赤穂藩の藩主、浅野内匠頭は 五万三千石の城主でした。 350人の家来を率いる一国の主です。

当時、朝廷からの使者の接待役になった浅野内匠頭は、 接待の指導係である吉良上野介の指導を受けながら準備を進めることになりました。
ところが吉良上野介は、最初に浅野内匠頭が賄賂を少しも持ってこないので、 世の中のことを全く分かっていないと賄賂を請求しました。
しかし、潔癖だった浅野内匠頭は、それを断ります。

お互い殿様同士ですが、吉良上野介は年配で、 浅野内匠頭は若かったためにいじめられることとなり、 吉良上野介は「ああじゃ、こうじゃ」 と意地の悪いことをやったのです。
その度に浅野内匠頭はグッと我慢し、「先輩が言うのだから仕方ない」と自分に言い聞かせていました。

その我慢がどんどん圧力をかけていきます。
我慢に我慢を重ねた結果、 ついに堪忍袋の緒が切れて、怒りが爆発したのです。

江戸城松の廊下で、抜いてはならない刀を抜いて、
「おのれ、吉良ー」と言って切りつけました。
浅野内匠頭は、カーッと腹立てて 刀を抜いてはならない江戸城松の廊下で、刀を抜いてしまったです。

当時、江戸城松の廊下で、少しでも刀を抜いたら、当人は有無を言わさずその日のうちに切腹、領地は没収と決まっていました。 それは、たとえどんな理由でも関係ありません。

その決まりに基づき、浅野内匠頭は切腹となり、 赤穂藩の領地五万三千石は取り上げられてしまいました。
会社なら倒産したのと同じです。給料は一切支給されません。
350人いた家来は1日のうちに浪人となり、 家来たちの妻子や子どもも路頭に迷うこととなってしまいました。

当然、浅野内匠頭もこの決まりを知っていました。 自分がそこで刀を抜けばどうなるか分かっていたのです。
それでも怒りの心は抑えられませんでした。

浅野内匠頭のように、カーッと腹を立てると後先が考えられなくなります。 怒りの炎で焼き尽くすので、後は野となれ山となれ。
猛毒を持つ怒りの心によって、その日のうちに切腹となり、お家は断絶。 五万三千石は一瞬で消えてなくなりました。

では、吉良はなぜいじめたのかと言うと、 欲の心に引きずられていたからです。 お金が欲しい、物が欲しいという欲のために吉良は切りつけられたのです。
その時は何とか一命は取り留めたのですが、額に刀傷を受けました。

しかしその出来事を知った浅野家の家老の大石内蔵助が
「吉良の白髪首を取らなければ殿は浮かばれない、殿の仇を討たなければ」
と立ち上がり、最後は仇討ちに成功したのです。

このように、吉良上野介は、欲の心のために殺され、
浅野内匠頭は、怒りの心のために命を失いました。

3つ目の愚痴はと言いますと、 この松の廊下での事件が起きたことで、浅野内匠頭の家来たちが 「おのれ吉良、この恨み晴らしてくれる」と仇討ちに立ち上がった、この恨みの心です。
1年何ヶ月の間、かつて侍だった者が豆腐売りになったり、 色々な者に化けて、今か今かと吉良上野介狙っていました。
四十七士があれだけ苦労したのは、愚痴の心のためです。
「この恨み晴らしてくれる」という恐ろしい愚痴の心で、 結局全員切腹して果てました。

このように、忠臣蔵の大騒動は、 欲と怒りと愚痴で演じられた悲しいドラマなのです。

3つの心が造り出す運命

この、浅野内匠頭や吉良上野介、大石内蔵助らは、何も特別な人ではありません。
私たちも同じように欲と怒りと愚痴の3つの心で 毎日毎日、自ら苦しい運命を造っています。
欲と怒りと愚痴の三毒は、死ぬまで、減りもしなければなくなりもしません。 私たちがこのような煩悩の塊であり続けている限り、 これからも起こりうることなのです。

では、私たちは苦しい運命から逃れることはできないのでしょうか?

ブッダが説かれた苦しみのもと

それについてブッダは、私たちの苦しい運命を生む煩悩とは別に、 苦しみの根本原因を明らかにされています。 その根本原因さえなくせば、 煩悩あるままで本当の幸せになれるのです。

では、その苦しみの根本原因はどうすればなくすことができるのかについて、 今回、さらに仏教に解き明かされた本当の生きる意味をスペシャルレポートにまとめましたので、まだご覧になっていない場合は、下の申し込みフォームからお申し込み下さい。