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あきらめよう。諦観とは?

「あきらめよう」と聞くと、あなたはどう感じますか?

「あきらめる」は、よく
「あなたをふった恋人のことなんかもうあきらめて」
とか、
「明日の試験はもうあきらめた」
というように使います。

あきらめると言えば、普通は、
断念したり、
悪い状態を仕方がないと受け入れること。

しようとしていたこと、無理なことを
やめるときに使われます。

本来仏教では……

この「あきらめる」
本来は仏教で「諦観」と書き、
あきらかにみる」が元でした。

その「あきらかにみる」が
だんだんと「あきらめる」になったのです。

試しに口に出して言ってみましょう。
「あきらかにみる、あきらかにみる、あきらかにみる……
……あきらめる!」

ほら。

では仏教で「あきらかにみる」とは?

では、「あきらかにみる」とは、
何をあきらかにみるのかというと、
因果の道理をあきらかにみる
ということです。

悪い状態になった時、
自分がこんな結果を受けたのは、
一体どこに原因があったのか。

たいていは、
「あいつが悪いんだ、
もういいよ、あきらめよう」

と人のせいにしますが、
仏教の諦観は、そうではありません。

一体自分のどこに原因があったのか
あきらかにみる、ということです。

例えば財布を落とした人に、
「あきらめなさい」
と言ったら、
その財布はもうないのだと受け入れて、 忘れなさいということです。

しかし、因果の道理からすれば、
財布を落としたことには必ず原因があります。

あきらかにみるとは、
その原因を明らかに見よ
ということです。

具体的な4ステップ

ですから、具体的な4ステップを考えると、

 1 失敗を真正面から見る。
 2 言い訳したりごまかしたりせず受け入れる。
 3 対策を立てる。
 4 実行する。

ということです。

この「実行する」までやることが大切です。
「あきらめなさい」
と言われて、やめてしまったら、
進歩も向上もありません。

仏教では、
まかぬ種は生えませんが、
まいた種は必ず生える
と教えられています。

悪い結果を、
忘れるのでもなければ
ごまかすのでもなく、
根本的な原因を明らかに見て、
悪い種まきをやめて、
少しでもいい種まきをしようというのが
諦観なのです。

諦観を心がけると…?

この諦観を心がければ、
反省が深くなり、
向上心が強くなり、
反省と向上を繰り返す、
たくましい人生観が開けてきます。

だから仏法者は、世間一般で言われる
「あきらめる」とは
180度正反対の、努力家になるのです。

お互い、日々、因果の道理をあきらかにみて、
諦観を実践してゆきましょう。

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